西市子分北海道へ行く

 

北海道の旅について            
                             松本 西市
2002年8月12日
今日は、vespaで北海道に行く為会社を15時に退社させてもらった。22時までに舞鶴港まで下道で行かなくてはいけないので、余裕をもって早めに出発した。旅の用意は前の晩に済ませておいたので、着替えてそのまま出発し大阪市内をぬけそのまま、R173を走り途中の道の駅で彼女(美咲)の母から留守電がはいっていることに気づき電話を掛けてみると、僕のためにサンダルを買ったので出発する前に家に寄ってほしいと。いま大阪をでて半分くらい走っていると僕が言うと、「それじゃ舞鶴まで行くわ」と言って電話を切ってしまった。出発する前に電話しとけばよかったなあと思いつつも今から戻れば間に合わないし、ここはひとつ甘えようってことになり先を急いだ。
舞鶴に着いた頃には、日が沈みかけ肌寒く時間も19時前になっていた。出航まで少し時間があるので、近くのス−パ−でフェリ−の中で食べる食料を買い、港に着くともう何十台かバイクが停まっており僕も列の最後に並ぶ。次から次へと、バイクが到着しあっとゆう間に50台位になり21時15分の乗り込みを待った。
しかし美咲の両親が、まだ到着していない。とうとう乗り込む時間になり次々バイクがフェリ−に乗り込んでいく。少し不安になりながら待つこと30分、美咲の父の運転で、大阪から下道で3時間以上かけ舞鶴までサンダルのためにわざわざ来てくれた。なんと、サンダルだけでなくフェリ−で食べるようサンドイッチなども一緒に持って来てくれた。僕は、うれしい気持ちと申し訳ない気持ちのなか礼をいい二人の車を見送り、フェリ−に乗り込んだ。
僕は、2等なので適当に席を見つけ荷物を降ろした。中は非常に狭く、寝返れば隣の人に当たるぐらいの雑魚寝部屋、お世辞にも快適と言えるもんじゃない。それでも寝床を確保した安堵感からか眠くなりそのまま眠ってしまった
次の日、6時過ぎに目が覚め船内をいろいろと周りパンと缶コーヒーの朝飯を食べた後、
『大泥棒ざんげ禄』という本を読み時間を潰した。昼は昨日買っておいた手巻きずしとお茶で済ませ、『遠い海から来たCOO』という本を読む。3階ではルパンV世を上映していたので少し観た後、晩飯にカップ麺を食べ風呂に入り荷物の整理をしてから寝床に入った。
ウトウトとあまり眠れぬまま朝の4時過ぎにフェリ−は北海道に着いてしまい荷物を持ってvespaの所まで行き荷造りをして、係りの人の指示を待った。順番が呼ばれ僕と荷物を載せたvespaは初めて北海道の地に降りたった。
大阪とは違い、北海道は涼しいを通り越して寒いくらいですぐに持ってきた防寒具を着込み、美咲が待っているフェリーターミナルに急いだ。そこには20台くらいのバイクが停まっており、その中に赤い美咲のvespaも停まっていたが、美咲は顔を洗いに行っているらしくその場で待つことにした。しばらくすると、トイレの方から「せーちゃーん」と呼ぶ声が聞こえたので振り向くと美咲が手を振っていた。美咲のvespaのメーターワイヤーが切れているので、寺田さんに交換方を教えてもらい大阪から持ってきたワイヤーと取り替えたが根元に切れたワイヤーが残っていて入らない。後でもう一度直すとしてフェリ−タ−ミナルを後にした。北海道の道は信号が少なくみんな100キロ以上で飛ばしていてとても怖い。
昼すぎに帯広に着き、名物の豚丼を食べることになったがお目当ての店はすごい行列で僕らは、近くの豚丼屋に入った。そんなに美味くない豚丼を食べ、屈斜路湖にむかった。
途中、ホクレンというガソリンスタンドでガソリンを入れる。このホクレンというスタンドはライダーに、北海道と描いてある旗をくれるのだ。旗は三色あって道東が緑色、道南が黄色、道北が青色と分かれており、僕達はその旗が嬉しくてvespaに取り付けて走りなびかせた。
道の駅で一度諦めたワイヤー修理も寺田さんの指摘で無事に終わり、美咲のvespaはまた距離を刻み始めた。
日もすっかり暮れて僕達は、屈斜路湖近くのキャンプ場にテントを張った。すっかり暗くなっていたので、急いで晩飯の仕度をしとりあえず落ち着いた。途中のスーパーで買ってきた豚トロとホタテを焼いて食べたが、ホタテの美味さにかなり感動した。そして、すぐ近くの温泉に入りその晩はすぐに眠ってしまった。
次の日の朝、7時過ぎに目覚めテントなどをかたづけて僕達は硫黄山へとvespaを走らせた。硫黄山の近くの道からはすでに硫黄の臭いがしていて着くと黄色い硫黄山から、湯気が昇っていてびっくりした。一応、硫黄山の側までいき記念撮影をしてその場を後にした。
摩周湖に着いた頃には一面霧でまさに霧の摩周湖だった。僕達が諦めながら走っていると一瞬霧が晴れ摩周湖が顔を出した。昼飯はセーコーマートというコンビニで適当にすませ僕達は一路、開陽台へ通じる北19号線へとvespaを走らせた。
北19号線は、まっすぐな直線でゆるやかにアップ、ダウンが続いており振り向くと道が真っ直ぐ地平線までのびており、空に消えている。しばし感動して僕達は写真を撮った。
開陽台は前に一度車で来たことがあるのだが今回は自分のvespaでこられたのですごく嬉しかった。大パノラマの視界が開け、遠くの地平線や北海道の広さなどが目の前に広がりあらためて地球が丸いことを実感した。
開陽台を後にした僕らは、今日の晩飯のおかずを買いに、(道の駅羅臼)に向かった。道の駅の中は、昆布や新鮮な魚介類がいろいろ売っておりまた値段が安い、僕達はイカと鮭の切り身を買って、無料の昆布茶をいただいた。
夕方になり『熊の湯』の近くのキャンプ場に、テントを張り食事の用意をしさぁ食べようかと思ったら、隣でキャンプをしていた家族が「よかったら一緒に食べましょう」と誘ってくれたので僕達もイカなどを持ち寄って隣のテントに移動した。サンマや焼き鳥などを
ご馳走してもらい、vespaや旅のことで盛り上がった。
朝5時に目覚め早々にテントをたたむ。昨日ご馳走していただいた家族はまだ眠っていたので起こすのも悪いと思いそのままキャンプ場を後にし、カムイワッカの湯の滝に向かった。このカムイワッカの湯の滝はガイドブックなどによく紹介されており、お盆の時期は観光客が多いので一般車両は通行できない、知床自然センターからシャトルバスに乗り砂利道を進む。最高の景色を満喫しバスはカムイワッカに到着した。美咲の両親が持って来てくれたサンダルに履き替えて川の中を歩く。次第に道が険しくなり、危険な岩場が現れる。滑るのではと、不安になるがサンダルは全く滑る様子はない。
途中かなり急な岩場を登りやっと到着した湯壷は、まさに秘湯という言葉がふさわしい温泉で僕はそのまま飛び込んだが思ったより深く足が着かず溺れかけてしまった。ひとしきり秘湯を味わった僕らは、またバスに乗りカムイワッカを後にした。今日泊まる『とおまわり』という、とほ宿に着いたがだれもおらず仕方なく近くのセセキ温泉に入りに行った。少しして宿に戻ると、お客がすでに中でくつろいでおり僕達も荷物を運んでくつろいだ。19時頃に晩飯になったのだが、ここの晩飯は量がすごく多い。次から次へと魚の煮付けやイカのフライなどが運ばれてくるが全部食べられず残してしまった。 その後は宴会になったが、酒を飲めない僕はジュースで参加した。0時過ぎに宴会は終わりすぐに眠ってしまった。朝7時に目が覚め朝飯を食べ、荷造りをし『とおまわり』のみんなに見送られて、僕達は日本最東端をめざした。草原と海の寂しい道をずーっと走ってやっと納沙布岬に着いた。北方領土返還運動の原点でもあるこの岬は、寂しくなにかを待っているようなそんな岬で波も荒く、海を見下ろせば吸い込まれていきそうな気持ちになった。このあと釧路までただひたすら走り、釧路に着いた頃は18時過ぎでキャンプ場までは距離もあったので今日はライダーハウスに泊まることになった。想像以上の狭さのライダーハウスはまさにプレハブ小屋でなんでこんな所で寝ないかんのやと虚しくなる宿だったが、それでもなんとか眠りについた。
北海道、最終日の今日は帰りのフェリ−に乗る為、21時過ぎまでに小樽まで走らなきゃいけないので朝5時過ぎにライダーハウスを出発し雨の中、釧路湿原を一応まわりひたすら小樽を目指した。途中で屋台のトウモロコシ屋があったので僕達は冗談を飛ばすおやじからトウモロコシを買って食べ休憩をとった。17時過ぎには札幌に入って、ふと空を見上げるとすごく綺麗な夕焼け空が一面に広がっており思わず感動の声を上げてしまった。小樽に着いた時にはすっかり夜になっていた。僕達はフリッパーという回転ずしに入り、ネタの新鮮さにびっくりし、値段の安さでもびっくりした。大阪で同じように食べれば財布がすぐにカラッポになってしまう。
そうこうしているまにフェリ−にvespaを積み込む時間になりここで美咲と、さよならしてしまわなければならない。寂しい気持ちをぐっとこらえて僕は美咲に見送られた。
2等の僕の寝床は、しらない人達と一緒に過ごす雑魚寝部屋で行きのフェリ−であまりよい印象がない。僕が席を探していると、よっぽど情けない顔をしてかわいそうに思ったのか 船上員のかたが「よかったら個室のほうに案内します」と言って僕をトラック運転手専用の個室に案内してくれた。なんでも今日はトラックの運転手が少ないかららしい。何人もいる乗客から僕に声をかけてくれてラッキーだと思い始めての個室を満喫した。旅の疲れのせいか目が覚めると12時前で、とりあえず顔を洗い簡単に昼飯をすませ美咲が買ってくれた北海道新聞に目を通した。
帰りのフェリ−は、高速船なので21時間で敦賀に着いてしまった。フェリ−から降りると雨が降っていてカッパに着替えて高速に乗りすごい風の中、大阪の自宅に無事に帰ってきた。荷物を自宅に運んで、ベッドに横になりそのまま眠ってしまった。
今回の旅で思ったことは、北海道を走るならかなりの防寒具が必要。曇りの日はかなり寒かった。僕は8月に周ったが6月の終わり頃も、向日葵などがきれいで楽しいと思う。すごく雄大な北海道は人生で一度は走ってみても損はないはず!食べ物も旨いし空気も旨い。
そして、旅先でのいろいろな人との出会いがあり新たな発見がある。僕も、もう一度北海道を旅する時はもっといろんな所に行き、いろんな人に出会い、いろんなことを吸収し成長して帰ってきたいと思った。

前のページ

[トップページへ]